第6回 ニカラグア運河の夢 視察の旅 旅の記録
〜 サン・ファン川(R o San Juan)を下りサン・ファン
・デ・ニカラグア(San Juan de Nicaragua)へ 〜
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1.日 時: 2009年7月18日(土)、19日(日)、20日(月)
2.参加者: 中内清文、木島久恵、M.柳原、H.小野、T.中本、R.高松
3.旅の行程:
7月18日(土)
08:30 首都マナグア(Managua)を飛行機にて 出発
09:30 サン・カルロス(San Carlos) 到着
11:00 サン・カルロスを船にて 出発、サン・ファン川(R o San Juan)を下る
12:30 エル・カスティーヨ(El Castillo) 到着
14:30 エル・カスティーヨ 出発、サン・ファン川をさらに下る
17:30 サン・ファン・デ・ニカラグア(San Juan de Nicaragua)[英語名: Greytown] 到着
7月19日(日)
7月20日(月)
4.旅の目的
ニカラグア政府公表の運河計画書である下記文献"Gran Canal Interoce nico por
Nicaragua" (GCIN)においてその選定ルートのうち最も有力とされるルートE上にあるサン・ファン川
(R o San Juan)の踏査を行う。
このルートは植民地時代16世紀から19世紀において重要な物流のルートであった。
ルートEでは、大西洋・カリブ海側のサン・ファン・デ・ニカラグア(英語名グレイタウンGreytown)から内陸の湿原地帯を通り、
サン・フランシスコ川にを通り抜けた後にサン・ファン川に入る。その後は同河川を溯上してニカラグア湖に至る。
また、ルートDでは大西洋側のプンタ・ゴルダ(Punta Gorda)からサバロス川(R o S balos)
を通り抜けた後にサン・ファン川に入る。これらサン・フランシスコ川やサバロス川の河口を確認し
可能であれば遡上し踏査する。
また、エル・カスティーヨ博物館の年表によると、1889年にサン・ファン・デ・ニカラグアで運河の建設(開削・浚渫)が
始まった。
その際の運河開削・浚渫跡やサン・ファン・デル・ノルテ湾(Bah a San Juan de Norte)に
沈没して残され100年以上も経つ浚渫船、かつてこの辺りが地峡横断ルートとして繁栄していた頃のグレイタウン(Greytown)
の街跡などを踏査する。
 
図.選定ルート図 (GCINより)
5.視察結果: 7月19日(日)

図.視察地域図 1
5.1 浚渫船(Draga)沈没地点−地点@
サン・ファン・デル・ノルテ湾(Bah a San Juan del Norte)の運河建設(開削・浚渫)跡の入口に、
建設時使用されていた浚渫船が沈没しそのまま残っている。建設中は5船の浚渫船があったそうだ。蒸気により機能。
高さ20m程度か。

写真1.100年以上前の浚渫船の沈没 遠望 写真2.浚渫船の沈没
5.2 1889年に開削・浚渫された運河7kmを遡上−地点A
運河跡を遡上した。運河の入口には沈没船が横たわっていた(運河開削当時しようされた浚渫船)。沈没しているので船の全長は分からないが、水面上に露出して
いる浚渫装置の船首尾方向の長さは20m程であろう。
遡っていくと、途中川幅が狭い箇所などあったが、両岸には木々が生え茂りほぼ自然の川と見える流れと植生状況になっていた。
川沿いには何軒かの民家が建っていた。湿原に入り川幅が狭くなったところまで遡上することができた。
サン・ファン・デル・ニカラグアで宿泊した民宿の主人エンリケ氏の話では、この湾内はカリブ海の海水圧力や潮の流れ
による影響で河川・湾内での土砂の堆積が多く、かつて運河開削当時もこの土砂の激しい堆積作用のため浚渫工事が
なかなか進行しなかったそうである。

写真3.運河開削跡の入口に残された沈没船 写真4.運河跡 入口付近から。 前方が狭くなっている

写真5.運河跡 湿原に入る 写真6.運河跡 湿原地帯に入り運河跡の終点地
5.3 グレイタウン(Greytown)跡地−地点B
サン・ファン・デ・ニカラグアは1991年に現在の場所に移された。宿泊先の主人エンリケ氏によると、大洪水があった
ため町を移したそうである。それ以前はグレイタウン(視察地域図参照)に街があった。
物流のルートとしてサン・ファン川が大いに利活用されていた時代、この町には多くのイギリス人やフランス人、北アメリカ人などが
住んでいた。今は、墓地が残っている程度である。この地に、飛行場の建設が予定されているそうである(墓地跡のすぐそばには
草に覆われたままの滑走路がある)。なぜ、現在の街周辺に建設しないのかを乗船していた船の主人に尋ねると、
旧市街地の方が飛行場建設には風向きのなどの条件が良いからとのことだった。

写真7.グレイタウン跡地 墓地看板 写真8.グレイタウン跡地 墓地
5.4 アドベンチャー・ロッジ 「リオ・インディオ」(運河建設跡入口)−地点C
運河建設跡のまさに入口にロッジ・スタイルのホテル 「リオ・インディオ」がある。
オーナーはコスタリカ人で、コスタリカから多くの観光客が訪れていた。周囲に広がる広大な「自然保護区インディオ・マイス」
(Reserva Natural de Indio Ma z)などを観光するようだ。コスタリカからは、首都サン・ホセから
サラピキ川(R o Sarapiqui)まで車で3時間、サラピキ川からホテルまで船で3時間程度だそうだ。
ニカラグアの首都マナグアからよりも近い。ロッジは2000年に建設工事開始、2002年から営業が始まったそうだ。
内装は広々としていて、客室は全てロッジ・スタイルであった。スポーツフィッシング用の船や下の写真のような
湿原走行用の船(船尾に装備したいわば大型扇風機を回して湿原を滑走する舟艇)が用意されていた。

写真9.ホテル 「リオ・インディオ」 写真10.ホテル内

写真11.ホテルのビュッフェ 写真12.ホテル船着場に係留された湿原走行用の船
5.5 サン・ファニーヨ川(R o San Juanillo)を遡上−エボ潟湖(Lago Ebo)−再びサン・ファニー
ヨ川へ取り付きシリコ川(R o Silico)を経て−シリコ潟湖(Lago Silico)まで
運河建設跡(7km)のさらなる追跡のためにサン・ファニーヨ川を遡上した。サン・ファン川からサン・ファニーヨ川に入り、エボ潟湖
を通り抜け、さらにジャングルの中の極狭く短かい水路に分け入って、サン・ファニーヨ川に再び取り付く。その後、
シリコ川へと進み、シリコ潟湖に到着。途中、川幅が狭まったサン・ファニーヨ川やシリコ川の両岸には水底から草木が
生え茂り、ボートはそれをかき分け、時に乗り越えながら進んだ。
写真の通り、たくさんの自然に囲まれ、湿原が広がるという自然豊かな地である。
7kmにわたり開削・浚渫された運河建設跡から内陸部へ、かつて計画された運河ルート(特にサン・ファン川が乾期に土砂の
堆積が激しくなり通航不可能になる30kmほどの河川部を迂回するためのルート)をたどることを目指して
スタートした。しかし、サン・ファニーヨ川自身の川幅が狭くなり、また川面が水草で著しく覆われるようになり、
通航可能な澪(みお)の部分の幅は極端に細くなり、小型ボートでさえも通航困難となり目指していた地点まで辿り着く
ことを断念した。
これらの湿原地帯の河川や狭水路は複雑に入り組んでおり、またカリブ海からの海水の圧力や潮汐作用による
潮の流れなどによるためか自然の変化がはげしく、この辺りを良く知る船頭でないとインディオ・マイス自然保護区内の
河川、潟湖(lago, lagunaなど)、狭水路(クリークなど)などを巡り踏査するのは難しい。
なお、サン・ファン川河口では大きなデルタ(三角州)が形成されている。そのデルタにおいてはサン・ファン川本流は
コスタリカ領土内を流れている。従って、サン・ファン・デ・ニカラグアへ行き着くには、その本流からそれて
(河口から30−40km上流部にて)、サン・ファン川支流を下って行くことになる。

写真13.サン・ファニーヨ川 河口 写真14.エボ潟湖

写真15.サン・ファニーヨ川 木々が生え茂る熱帯ジャングル 写真16.シリコ川

写真17.シリコ潟湖 静寂の世界 写真18.シリコ川を戻る 静かな水面
6.視察結果: 7月20日(土)
(サン・ファン・デ・ニカラグア(San Juan de Nicaragua)からサン・カルロス(San Carlos)へサン・ファン川を上る)
サン・ファン・デ・ニカラグアから、運河ルートDおよびEの河口を確認しながらサン・ファン川を上る。雨季である
現在はサン・ファン川にはたうたうと水が流れているが、乾季(2月から5月)には水量が減る。特にカーニョ・スシオ
(Ca o Sucio)、あるいはサン・ファン川とサン・ファニーヨ川との合流地点付近から、通行監視所の
あるデルタまでの約30kmは、土砂の堆積で水深がわずか20−30cmになり、
船が通行できないほど減少する。水量が減少し船が走行できない時は、乗客が降りて船を押し進むそうである。

図.視察地域図 2
6.1 サン・ファン・デ・ニカラグア(San Juan de Nicaragua)からエル・カスティーヨ(El Castillo)まで

写真19.インディオ川(R o Indio)からサン・ファン川に入る 写真20.カーニョ・スシオ川の河口部
左奥にカリブ海の激しく砕ける波が見える

写真21.サン・ファニーヨ川河口部 写真22.デルタ 環境省・監視所がある

写真23.ティグラ(Tigra) 休憩所[コスタリカ側の河岸] 写真24.ティグラ サラピキ川
(R o Sarapiqui)河口部[コスタリカ側]

写真25.サン・フランシスコ川(R o San Francisco) 河口 写真26.ボカ・サン・カルロス
環境省・監視所がある

写真27.エル・カスティーヨ(El Castillo) 要塞が左側の高台に見える
6.2 エル・カスティーヨとエル・カスティーヨの博物館(Museo en El Castillo)
エル・カスティーヨの要塞跡からサン・ファン川を臨んだ。サン・ファン川が静かに流れ平地が広がっている。
100年ほど前まで物流のためたくさんの船が通行していた。博物館にはその頃の写真や道具、歴史などのパネルが展示
されている。運河建設計画図のパネルもあり興味深い。

写真28.エル・カスティーヨ要塞跡 写真29.サン・ファン川 要塞より東側(下流方面)を臨む

写真30.サン・ファン川 要塞より西側(上流方面)を臨む 写真31.エル・カスティーヨ博物館

写真32.展示物 蒸気船煙突 写真33.展示物 運河建設計画図(1850-51)

写真34.展示物 運河建設時の写真 写真35.展示物 列車のレールと車輪(1888)
6.3 ボカ・デ・サバロス(Boca de S balos)からサン・カルロス(San Carlos)へ
ルートDの経路になっているサバロス川(R o S balos)を遡上した。15分
ほど遡上すると川幅が狭くなり、また時間の余裕がなかったのでそれ以上の溯上を控えた。サバロス川河口の町ボカ・
デ・サバロスからこの川に沿って20kmほど上流にある村ブエナ・ビスタ(Buena Vista)までは道路が通じている。
川沿いにはその他いくつかの集落がある。

写真36.ボカ・デ・サバロスの船着場 写真37.サバロス川遡上 川を渡す船

写真38.サバロス川 写真39.サン・カルロス船着場付近の沈没船の煙突
サン・カルロスまで戻ると、船着場付近に沈没船の煙突が見えた。200年前の沈没船だそうだ。
7.その他気付いた点、今後の課題
・ 2009年7月13日サン・ファン川の使用について国際司法裁判所(Corte Internacional de Justicia)が判決を下した。
判決内容では、コスタリカ側の使用権利が拡大され、観光客が乗船した商業目的のコスタリカ船の通航が認められた。
・ 文献GCINの中では、サン・ファン川を通るこのルートEは以下のような理由で経済比較案などからはずされている。
(a) 「自然保護区インディオ・マイス」を通過することによる環境破壊、生態系破壊が危惧されていること、
(b) ユネスコとの保護区における取り決めがあること、
(c) サン・ファン川周辺が砂上層からなり地質的条件が悪いこと、
(d) 堆積土が多いこと、などである。
8.今後の予定
・ ラマ川(R o Rama)方面の踏査を8月前半に計画。
文献GCINの中で、最も有利とされている
運河ルートはククラ川(R o Kukra)下流部およびラマ川(R o Rama)上流部に
沿ったルートBであるが、水の確保が大きな問題である。水を確保するためにダムの建設が必要になるが、
それらを視野に入れながらそれら付近の踏査を行う。
・ 踏査場所は、ルートB上に位置するラマ川(R o Rama)の最上流域で、
ラマ川と国道との交点に位置する町エル・コラル(El Coral)、ラマ川のさらに上流にあるコロニア・リオ・ラマ
(Colonia R o Rama)付近である。さらに、ラマ川の可能な限りの溯上、および再度ククラ川
(R o Kukra)の踏査を予定。また、ルートA上にあるマホンガニー・クリーク(Mahogany Creek)の
踏査をも予定。
以 上
(記録:木島)
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