Teturn to: 目次・CONTENTS
お詫び: 事情により、各画像の下に記載されているリンク拡大画像(最後の
番号が奇数のもの)は現在アクセスできません。
第1は、2隻の船で1統の網を曳く方法である。これは以西底曳網と沖合底曳網で行われ、それぞれ
フォールダ「以西底曳網」と「沖合底曳網」に示した。
第2は拡網板を網口に取付ける方法である。その最も有名な例はオッタートロールである。その他に各地に
小規模ながら板曳網等の名で残っている漁法がある。これはいくつかのフォールダに示した。
第3は網口を横方向に渡した棒によって広げる方法である。エビ漕網は、この例である。ファイル「伊予灘西部
における第2種底曳網の操業」に示したように、この棒はかなり長くなり、幅の広い網が曳かれることが分かる。
この変型の1つは、打瀬網である。船首と船尾から張出した棒を介し、その先端から曳索をとり、船の長さを
利用して網を広げ、(風か潮によって)船を横方向に滑らせて網を曳く方法である。この方向から風を受けると、
受風面積が広いので、網口を広げるとともに、大きな推進力を利用できた。
底近くにすむ魚類を主な対象にする場合、1統の大きな網を曳くよりも、いくつかの小さな網を曳く方が、
同じ大きさの力によって広い面積を掃海できる。
網を曳くのに帆を使うこと欠点の1つは、曳網速度が風向・風速によって変化することである。曳網力が
変動する中で網の型を保つためには、網口に枠をつけなければならない。これが桁網である。
これら2つの理由により、ここで見られた帆打瀬網漁船は網口が低い桁網を数カ統曳く。
多数の小型の桁網を曳く利点は、1つの桁網が海底障害物によって破れても、他の網が残ることである。
現在では、網は丈夫になり、障害物の探知が進んでいるので、この利点は考えられないが、帆打瀬網の多かった
時代には、この影響が大きかった。
帆打瀬網は、戦前から戦後しばらくの間は日本各地で見られ、底曳網の主体であった。しかし、内燃機関の
発達に伴い、それらがエビ漕網に変わった。
帆打瀬網漁船は、帆を使うと風向と風速によって曳網速度が変動することと、小さな曳網力しか利用
できなかったこと・和船の習慣の3点を念頭におき、現在の構造にはそれらの影響が残っていると考えれば
理解しやすい。
ファイル「大阪湾南部の底曳漁業」に示した船は、肩幅が広く、乾舷が低い和船型で、太い丸太で作られた
柱を残し、かつて帆打瀬網漁業に使われていた船の特徴を残していると考えてよいだろう。1隻で小型の桁網を
数カ統曳くこと、(軸が縦の)キャプスタンを使う等、不知火海で見られた帆打瀬網と共通点が見られる。
現在では、帆打瀬網は日本国内では数カ所しか残っていない。それが始まるとテレビで風物誌として取上げられ、
その操業風景は記念切手になっている。
ここで示したのは、不知火海において出漁準備をしている船の写真である。
No.2
No.3
No.4
No.5
No.6
No.8
No.9
No.10
各船には3本ずつの太く真っ直ぐな丸太の帆柱が見られる。その両端にやや短い柱が斜めに立っている船もある。
3本の帆柱が立っている船において、左舷に沿って水平に置かれている長い竿は、曳網を広げるために船首と
船尾から張出す竿である。
これらの船は、船体の構造・機関室が見られること・船尾の構造から、帆打瀬網の漁期以外には、種々の漁業に
使われる沿岸多目的漁船である。
No.2において、一番右に写っている船の右舷がわには、帆が見られる。船尾左舷には、後方への張出し棒を
張出してある。
No.3は、同じ船溜りにはこの漁業に従事しない船があり、それらは刺網漁業等に従事することを示す。
この刺網は種々の点において他の地方における刺網と異なるので、ファイル「刺網2」に示す。
No.4は、多数ある帆打瀬網漁船のうちの1隻のアップの写真である。中央の3本は帆柱である。それらの前後に
立っているやや短い柱は、網を曳く幅を(倒して)広げるためである。しかし、前後の張出し棒は、ほとんどの船
では立てられていないので、立っているのは3本の帆柱だけである。
No.5とNo.6は、3本の帆柱だけが立っている船の例を示す。この型の船が多い。前後の短い柱は倒してある。
No.6からNo.8までには、帆柱を支える構造が見られる。すなわち、帆柱は横方向から力を受けるので、それを支える。
No.7とNo.8では、立っているのは3本の帆柱だけである。甲板上に横たわる太い棒が帆桁である。後の張出し棒は
左舷に見られる。張出し棒には張出すためのローラがある。
右舷に沿って帆が見られ、左舷がわには網が見られる。すなわち、この船は右舷の方向に滑り、左舷から網を
投入し、左舷から揚げる。
この写真に写っている船では、少なくとも6カ統の網口の枠が見られる。すなわち、船の横方向に網を曳くのは、
広い網口の網を曳くためでなく、曳くことができる小型の桁網の統数か幅を増やすためである。
前甲板にある木造ドラムのキャプスタン2基を用いて左舷から網を揚げる。このキャプスタンはNo.7とNo.8で
分かり易い。
日本では人力だけで重いものを動かすとき、軸が縦の装置が用いられてきた。地曳網・和船式の船曳網あるいは
浜に船を引揚げるときに用いられる装置は、いずれもこの型である。
この写真に写っている船では、キャプスタンは動力化しているが、先に記したことの影響は残っている。
桁網を用いることと、網を揚げるのに(軸が縦の)キャプスタンを用いることは、大阪湾南部における底曳網
漁船でも残っている。しかし、大阪湾南部では網を曳くのに帆を用いないが船体は帆打瀬網時代のままであった
のに対して、ここでは船体は変わり曳網に帆を用いることはそのままであるように、帆打瀬網が現代に適応する
ための変化が異なる経路をたどっていることは興味深い。
No.9は網口の網桁を示す。網は画面後に向かってつけられ、手前に向かって曳かれる。
桁は鉄製で、その両端には花崗岩の錘を付ける。現在、一部の地方では錘は金属製に変わったが、本来はここで
示すように花崗岩製であった。これと同じ構造の桁は広く瀬戸内海各地において、動力船を用いた桁網でも見られる。
帆・帆桁・帆綱が見られる。
No.10は網桁の写真である。網は画面の上の方に向かって曳かれる。この写真は網の取付け方を示す。すなわち、
網は別の細い枠に取付けられ、この枠が桁に取付けられる。
曳網速度の変化や目的とする魚種の生態の変化等のために、桁の着底の状態を変えられるように、錘の位置は
上下に調整できる。
Back to: Top Page
底曳網の網口を横方向に広げる方法は3つある。
[No.1: ft_image_15_29/image001.jpg]
[No.2: ft_image_15_29/image003.jpg]
[No.3: ft_image_15_29/image005.jpg]
[No.4: ft_image_15_29/image007.jpg]
[No.5: ft_image_15_29/image009.jpg]
[No.6: ft_image_15_29/image013.jpg]

[No.7: ft_image_15_29/image011.jpg]
[No.8: ft_image_15_29/image015.jpg]
[No.9: ft_image_15_29/image017.jpg]
[No.10: ft_image_15_29/image019.jpg]