一枚の特選フォト「海 & 船」

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上段の図には「Plan y Proyecto del Canal Navegable de Nicaragua, Divisio'n Este 1888」と記される。
すなわち「ニカラグア通航可能運河計画図、東部、1888年」と記される。下段の図では、同計画図「西部、1888年」である。 米国とニカラグアとの間で「ザバラ−フレリンギセン条約」が結ばれたのは1884年である。メノカル(Menocal)の「マリタイム運河会社」に 運河建設の事業・管理運営権(コンセッション)を付与するものであった。1889年10月、「マリタイム海運・運河会社」がニカラグア 運河の建設工事を開始した。サン・ファン・デル・ノルテからサン・ファン川に沿って ジャングルを伐採し、鉄道を敷き、幅員85メートル、深さ5メートルの運河の開削を開始する。 メノカル(Menocal)が統括する技術者たちが、蒸気クレーンで(con gru'as a vapor)で 桟橋を建設し、入り江を浚渫し、マチュカ(Machuca)の急流(raudales)の区間を整備した。また、1600人の労働者を雇って、 運河建設予定地と平行して11kmにおよぶ鉄道(vi'a ferrea)を建設し、サン・ファン・デル・ノルテとエル・ カスティーヨ(エル・カスティージョ El Castillo)間の電信電話線をも敷設した。しかし、運河会社が経済危機に陥ったために必要な資金が続かず、 この試みは見捨てられ終わってしまった。 画像上段の運河ルート図につき説明はないが、時期からして「マリタイム海運・運河会社」の運河開削計画概略図であると思われる。 カリブ海側の町グレイタウン(サン・ファン・デル・ノルテの英語名称)からベルナルド潟(Laguna Bernardo)そばを経る。その少し上流に閘門が設け られている。 サンフランシスコ川流域(Cuenca de San Francisco)を経て、オチョア堰(Presa Ochoa)を通過後サン・ファン川へとつながる。運河は本格的に川を遡り、 ニカラグア湖へといたることになる。
リーバス地峡では、ニカラグア湖に注ぐラス・ラッハス川と太平洋に注ぐブリット川とがつながるのであろう。両川の間にある
緩やかな分水嶺が開削される。ブリット川上流の、地形的に観てここをおいて他に建設地はないという箇所に閘門が設けられる。
ラス・ラッハス川が、ニカラグア湖からそこまで開削され、湖水が導かれることになろう。閘門の東側には小さな貯水池・調整池が造作される。
図でもその池が記されている。リーバス地峡における運河開削ではこれ以外の方法および地点はほとんど考えられないであろう。
2009年にリーバス地峡を4度踏査して得られたルート私案がはからずも1888年計画案とほぼ一致することを明確に認識したのはずっと後のことである。
1 関連サイト ・ 世界の海洋博物館−中米・ニカラグア ・ ニカラグアの海と船のある風景[ 2 ][2007-2009] ・ 中米ニカラグア運河 ・ ニカラグア運河の旅: サン・ファン川、サン・カルロス〜エル・カスティージョ [2009.02.20-22] [Under construction] ・ ニカラグア運河の旅: エル・カスティージョの博物館 [Under construction] |