FishTech - Photographs of Fishing Techniques −漁業技術の画像集「FishTech」−
by Emeritus Prof. Hiroshi Maeda, Fisheries College, Shimonoseki, Japan in collaboration with Asst. Prof. Koichi Fukada, Fisheries College, Shimonoseki, Japan
[著] 水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘 [協力] 水産大学校助教授 深田耕一

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一 本 釣



 一本釣は昔から最も多くの人によって用いられている漁法で、専業漁師ばかりでなく、スポーツフィシャーマン によっても広く用いられる。

 このシリーズでは、スポーツフィッシングは遊漁として別に扱う。一本釣を行う船の特殊な型として家船がある。 これは、減少してきたし、実態を把握しにくい。尾道・三津浜・山口県東部等の漁船として挙げたものの中には、 家船らしいものが含まれる。明かに家船と認められるものは別のフォールダにまとめた。

 一本釣として例外的に規模が大きなものには、カツオ釣とイカ釣がある。かっては、これらの他にサバ跳釣が あった。前2者はそれぞれ別のフォールダにまとめた。

 最近の20・30年間の動きとして―特に深海一本釣用の―動力リールが用いられるようになった。これを記載する ことを重点の一つとした。なお、このような装置の一部は他の釣漁業における同様な装置との関係で「小型漁船 における釣漁具巻上げ装置」に示した。

 また、伝統を記載して残す意味で、手造りの釣針を作っている写真を別のファイルに記した。

 一本釣はどこでも行われるように考えられるが、一本釣の漁船が集まる場所と時間はは驚くほど限られている。 礁には魚が集まるので、好漁場になり、漁船―特に一本釣漁船―の集まることはよく知られている。それと 同様なことが海底にできた窪みについても起こる。

No.1からNo.6は、山口県の東端に近い平郡島付近に集まる一本釣漁船の写真である。ここには、高度経済成長期の 建設ブームのために、海底の砂を取った跡の大きな窪みがある。多数の漁船が、その窪みに集まっている。 それらには、3種類がある。その1つは、No.4に示すように、最も小型で、No.12と同じような船である。 この地区を根拠とし、1人乗りで、船尾で魚を釣る。船尾部分だけにテントを張り、テレビのアンテナは見られない。 すなわち、船を仕事の場とし、生活の根拠は陸上にある。

 第2の型はNo.5に示すような中型で、夫婦2人乗り、船首部と船尾部にテントが張ってあり、テレビのアンテナ が見られる。すなわち、船は仕事の場であるばかりでなく、生活の場にもなっている。船の前半は生活用で、 後半は作業用である。右舷船尾で魚を釣る。

 第3の型はNo.6の中央に示す大型の船である。

 最初に示した2つの型の船は、一本釣漁船である。風による漂流を少なくするために、船尾にスパンカー セールを立てる。潮上から流されながら釣り始め、窪みの外まで流されると、窪みの潮上手まで潮登りをして また釣り始める。この動作を繰り返す。

 第3の型の船はこれらと動きが異なる。静止画像ではこのことは分かりにくい。この船はある時間になると、 近くの岬の付近からでてきて漁船を回り釣った魚を集め、港に帰る。港では小型の活魚運搬トラックが待ち うけている。集めてきた魚をそれに移す。このような小型トラックは近くの各地から中間集荷地(ここでは柳井港) に集まる。そこには、低温輸送の大型トラックが待ちうけている。集めた魚をそれに移す。この作業はドッキング と呼ばれている。この大型トラックは、魚の積替えを終わると、それを東京・名古屋・大阪等の集荷市場まで運ぶ。 トッキングの時間は、このトラックが目的地の市場のセリに間に合うように設定される。大衆魚は輸入魚と 競合するが、高級魚―ことに活魚―市場はこのようなネットワークに支えられている。

No.1
[No.1: image12-11-001.jpg]

No.2
[No.2: image12-11-003.jpg]

No.3
[No.3: image12-11-005.jpg]

No.4
[No.4: image12-11-007.jpg]

No.5
[No.5: image12-11-009.jpg]

No.6
[No.6: image12-11-011.jpg]

 限られた時間の限られた場所に一本釣漁船が密集する例として、大畠瀬戸の大島大橋付近を挙げる。 ここはタイ釣で有名である。しかし、潮流が烈しく、潮がたるんだ短い間しか操業できない。潮がたるむと、 これらの写真に見られるように、狭い場所のしかも線に沿った形に船が集中する。もちろん、これらの中には 遊漁船が含まれる。No.9に示すように、この橋の下を過ぎると漁船はほとんど見られない。

No.7
[No.7: image12-11-013.jpg]

No.8
[No.8: image12-11-015.jpg]

No.9
[No.9: image12-11-017.jpg]

 これまでに示した例は多数の船が集まっているが、それぞれが別個に操業している例である。次に、 数隻の船が組になって操業する風景を示す。

 No.10に示すように、この例では5隻の船が組になっている。その中の1隻が潮上手に錨泊し、それから撒餌をする。 流速と撒餌の沈む速さに応じて間隔を取りながら4隻が舫って釣る。

No.10
[No.10: image12-11-019.jpg]

No.11
[No.11: image12-11-021.jpg]

 No.12は、No.10の右端で1隻だけ離れている船の写真である。この船は一本釣をしている。No.10とNo.11に 示した船は家船の可能性があるが、No.12に示した船は地元の船である。

No.12
[No.12: image12-11-023.jpg]

 例外的な規模の一本釣であるカツオ竿釣と自動釣機を用いたイカ釣は別のフォールダに示す。

 もう1つ例外的に規模が大きい一本釣として、サバ跳釣があった。この漁業は夜間に集魚灯と撒餌を用いて 大型のサバを釣る漁業である。東海地方で起こり、一時は東シナ海南部まで出漁し、かなりの好成績を揚げた。 しかし、その後ほとんど消滅した。ここにその跡を記す。

 この漁業には古いカツオ竿釣船が用いられた。

No.13
[No.13: image12-11-025.jpg]

 中層にサバの魚群を発見すると、集魚灯を点灯する。その魚群の上までホースを降ろし、泥状にすり潰した イワシを海水に混ぜて送込む。これは撒餌を中層にいる魚群の上に散らばらないように落とすためである。 このためのポンプがNo.15とNo.16の左舷に見られる。

 ゆっくりとホースを巻上げながらサバの群を海面まで導く。釣手は舷側に並び、泥状にすり潰したイワシを 入れた箱を足元に置いて魚群が浮上するのを待つ。魚群が浮上すると、左手に持った柄杓で泥状の撒餌を海面 にまきながら、右手に短い竿を持って海面を撫でるように動かすと、灯火と撒餌によって狂ったようになった サバが釣針にかかる。No.14はその用具の写真である。

No.14
[No.14: image12-11-027.jpg]

 No.15とNo.16はその水揚げの写真である。船首は画面の右である。

 魚倉一杯に魚が入っているように見えるのは、次ぎのような伝統的な保蔵法のためである。予め魚倉の中に 海水を張り、それに砕氷と食塩を入れる。ここに漁獲物を逐次投げ込む。この保蔵法を「水氷」という。 魚倉内の水面から上が空いていると、船が傾いたときに復元しなくなり、船が危険になる。そのために、 最後に海水で魚倉内の空間を満たすので、漁獲は少なくても魚倉は魚で一杯になっているように見える。

 No.16で右端に写っている人の上の左舷に見えるリールはホースを降ろすためで、下端にホースの錘が見える。 右から2人目の人の足元にある白いものは、撒餌を混ぜた海水を送るポンプである。

No.15
[No.15: image12-11-029.jpg]

No.16
[No.16: image12-11-031.jpg]

 その後、一本釣に見られた大きな変化は深海釣機の出現である。深海釣は次のような条件が整ったので可能に なった。(1)半減角は小さくても強力な魚探が開発され、詳しい海底地形がわかるようになった。(2)陸上の地形が 見えなくても目指す地点に正確に船を持って行くために、リアルタイムで船位を求められる電子計器が開発された。 (3)小型船に装備できる小型で強力なラインホーラが普通に入手できるようになった。(4)深くに住み、 なじみがなかった魚を切り身等に加工して流通機構に乗せられる技術が開発された。

 No.17とNo.18は東シナ海の200m等深線上に投錨して深海釣を行っている漁船の写真である。

 船首から斜め前方に降りている錨索が見られる。No.17では船首・船尾および左舷から長い竿がでている。 No.18では船首と船尾から長い竿がでているのが分かる。その付け根に深海釣機が見られる。

No.17
[No.17: image12-11-033.jpg]

No.18
[No.18: image12-11-035.jpg]

この漁業に用いられる漁船とその舷側に並んだ深海釣機の写真を示す。動力源は電気である。以前には、 小型船の漁労装置は、主機からのベルトかロッドで動かされていた。しかし、防蝕・防水の小型モータが開発されて、 この技術が可能になったことが分かる。

No.19
[No.19: image12-11-037.jpg]

No.20
[No.20: image12-11-039.jpg]

No.21
[No.21: image12-11-041.jpg]

 船は小さいが、少なくとも水深の3倍程度の長さの錨索と、それを揚げるためには強力な揚錨ウインチが必要になる。 No.22の手前の船には錨索の一部と釣機が見られる。

No.22
[No.22: image12-11-043.jpg]

 深海釣機は1台ずつ操作できるようになっており、道糸には細いワイヤーが使われる。

No.23
[No.23: image12-11-045.jpg]

 この技術は、外洋に落ち込む地方では、沿岸の漁船にまで広がった。No.24からNo.27までは、紀伊半島南部で 水深80mの海底付近にいるイサキを釣る装置の写真である。2連のドラムがあり、それぞれに細いワイヤーの道糸が 巻いてある。

No.24
[No.24: image12-11-047.jpg]

No.25
[No.25: image12-11-049.jpg]

No.26
[No.26: image12-11-051.jpg]

No.27
[No.27: image12-11-053.jpg]

 深海釣の漁船が用いる錨を示す。岩礁に錨がかかっても揚げられるように、爪は軟鉄で伸びるようになっている。

No.28
[No.28: image12-11-055.jpg]

 対象とする魚種によって独特な道具が使われる。その一例としてNo.29からNo.31までにタチウオ釣の用具を示す。 No.29とNo.30は船尾に付けられる手動のリールである。道糸は細いワイヤーで、一定の間隔で小さい鉛の粒(ビシ) がついている。No.30に示す船は、肩幅が広く乾舷は低い。甲板はその上で生活をするようになっている。すなわち、 家船として使われるかその面影を残している。このような船では和船時代の操業形態を残し、漁具は右舷船尾で 使われることが多い。リールの前にはカゴに入った道糸が見られる。No.29に示す船も同じ漁港を根拠とし、 同様なリールを使うが、船首部に家船の痕跡を留めるだけである。

 No.31はタチウオ釣のテグス部の写真である。曳縄の項で示したように、一本の道糸に50本近い釣針が付いている。 釣針はクキが長く、付け根には小さな鉛の球がつき、それにガラス玉で埋め込んである。擬餌の代わりに紺色の ビニール片が付けられる。曳縄の項で示したタチウオ釣の道具は静岡県で見られたもので、ここで示したものは 山口県東部で見られたものである。両者はよく似ている。

No.29
[No.29: image12-11-057.jpg]

No.30
[No.30: image12-11-059.jpg]

No.31
[No.31: image12-11-061.jpg]

 No.32からNo.35は、タチウオ釣の写真である。水上灯を使う。他の漁業でも、夜間に魚食性の魚を釣るには、 暗い水上灯が使われる。

No.32
[No.32: image12-11-063.jpg]

No.33
[No.33: image12-11-065.jpg]

No.34
[No.34: image12-11-067.jpg]

一本釣には小舟が使われ、その多くはそれぞれの地方における伝統的な船型を残している。その一例として 佐賀関における一本釣船を上げる。この船は肩幅が広く、舷側は差し板で囲まれる。ブルワークトップには 竹が沿わせてある。これは船体に網糸や釣り糸を食い込ませないためで、網や釣り具を扱う船では広く行われて いる習慣である。

No.35
[No.35: image12-11-069.jpg]

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